【和訳】e日本国史 パート①

Day 2,112, 02:00 Published in Japan Japan by Minami Saki

原作者:Nicolas Bonaparte
原作:The eJapanese History (Part 1)
翻訳:謎の美少女

――始まり――



国史の最初のとき、戦争モジュール開始直後に、日本は韓国と交戦した。長くつらい戦争であったが、ようやく日本が勝利を握り、韓国の全体を無事に占領した。なお、日本は「PEACE GC」の原加盟国の一つ(2008年8月27日~2009年11月19日)であった。
2008年11月に、ATLANTISから支援を受けていた反乱者が、京畿道(Gyeonggi-do)・忠清南道(Chungcheongnam-do)・慶尚南道(Gyeongsangnam-do)の3地方を解放した。2009年5月まで、韓国政府は日本との連邦を形成することを決定したとき、その地域が独立したままであった。最初の抵抗戦争と連邦形成との数ヶ月間に、ときどき、抵抗戦争が発生した。しかし、日本も韓国も、どちらの政府によっても支援されたり資金を提供されたりしていない抵抗戦争であった。

――第一九州事件――



日本は2009年7月に、「Sol」の原加盟国の一つとなった。
2009年7月11日、日本とインドネシアとの論争が起こった。インドネシアにとり、九州がアメリカへの近道と、さらに戦線を拡大させるための機会と見なされた。九州は唯一の南方のアジアとアメリカとの国境であったし、インドネシアの戦争のために接続をもたらすところでもあったし。他方は、ロシアとの地方交換でずっと難しいアラスカへの北方の道を辿ることであった。

インドネシア政府の与えた主な理由は、ゲームに再び興味を持たせることで、その戦争はベテランプレイヤーを再生させようとする方法であった。最初の提案は、結局のところ、インドネシアが日本に1つの病院と1つの防衛機関を与えることであった。また、九州で立ち往生したままのあらゆる企業にゴールドを与えられることであった。
Akki議員は、インドネシアがただ日本を侵攻することに対する最初の不安を退け、「日本はPEACE GCの原加盟国だ」と述べ、そのような不安は根拠のないものだと主張した。インドネシア政府の依頼により慌ただしく討論された後、驚くほどの賛成1、反対16で、日本国会が最初に提案は否決した。
提案の否決の後、インドネシアは新条件に基づく再採決を要求した――
・侵攻提案は全PEACE作戦。
・日本韓国連邦はPEACE憲章違反。従って、インドネシアが開戦の理由とすることができる。
・最初に提案された防衛機関の代わりに、もう一つの病院を与えよう。
情報が舞い込む同時に、非常第二採決を行い、結局、逆転の13賛成、5反対で可決した。新提案の賛成者は多く、インドネシアの日本を侵攻する脅威と明らかな意思を、賛成の理由として挙げた。
インドネシアとの協定の一部として、提案を隠したまま、日本政府が実際にウォーゲームだという情報を公開した。しかし、議員の一人は実際の出来事を説明している記事を出したが、後に削除された。世論が大きく「安全」か「誇り」か、どちらのほうが大事かについて分かれていた。その行動がハンガリーによりスコットランドへのの地域交換と重なった以上、アメリカの中に推測を立て、侵略の不安を高めた。
7月28日、すなわち17日間後、日本が九州の攻撃を開始し、そのすぐ後にインドネシアが退却した。ちなみに、15日~17日、九州に抵抗戦争攻撃が3回あり、すべては外国人により開始された。数ヶ月後、PEACE GCのArthk元事務局長は脅威に気づいていなかったことに対して日本国民に謝罪をした。記事中で、事件を知っていなかったと主張し、あの時に知っていたら干渉するであろうと述べた。

――日本、テオクラシー戦争の影響を受けた――



いわゆる「テオクラシー戦争」においては、2009年9月にテオクラッツにより日本が攻撃された。いくつかのSolやPEACEの国からの援助にもかかわらず、恒久的な解決をもたらすために投票力も兵力も足りなかったので、外交的な孤立によりテオクラッツを弱め、勝利が可能になるとき、追い出すことを期待し、日本と韓国の政府が長期間にわたる抵抗することを欲した。
テオクラッツは局部的なSolウォーゲームへの参加が認められたとき、兵士と一般人をレベルアップしやすいチャンスを得られたので、破られた外交封鎖だと、日本は見なされた。スイスとして、かつてテオクラッツは問題もなく加盟したことがあったが、東アジアに移住することで、局外中立派ではなくなった。それ以上、東南アジアウォーゲームに対して「Solウォーゲーム」という名称を一般的に使うことと、テオクラッツの加盟が認められたSol決議第0001号は、論争を巻き起こしており、誰がウォーゲームの責任があるかはっきりしなくなった。
日本はSolが加盟国よりも侵略国を援助することだけでなく、下手なタイミングと連絡不足も非難したが、Solは日本政府自身の連絡不足と、最初の侵略の間に努力したことを取り立てた。割り当てられた採決の時間が妥当だったのに、日本代表者をはじめとする欠席者が多いため、加盟国全9ヶ国中3ヶ国しか意見を言うことができず、テオクラッツはウォーゲームに参加を認められた。それ以来、活動が低くなったことを考慮に入れるようにSol憲章が改良され、決議第0001号が取り消された。
日本国会は2009年10月に2回Solからの脱退を採決し、日本がオブザーバー国家となった。

――日本国憲法――



日本は2009年9月から、憲法を持っていた。「第一大日本帝国憲法」は、効果なくなった歴史的な文書である。主な著者はReiji Mitsurugi氏であった。2009年9月1日に、その文書が大日本帝国国会により批准された。

The sequel will be the next article.
Nicolas Bonaparte, eJapanese citizen